TheMissingWing

　海原に面した大都市は、あまりにも静寂しすぎていた。
　波の音。風の音。耳に入ってくるのは、それらの自然のざわめきだけだった。
　道の上に、動くものの姿はない。照り付ける日差しが生み出す深い影が、アスファルトの道に食い込んでいた。
　海を見張る要塞にも似た建物は、いやが上にも不安がこみ上げてくるような静けさの中で、蜃気楼か白昼夢の幻の如くたたずんでいた。街全体を包む鉄壁の威圧感よりも、完全な無人という不可思議な状況が生む雰囲気が勝っているのだ。
　神羅カンパニー、ジュノン支社。
　気温が高い。太陽に暖められた熱い潮風が吹いている。
　軽く二十五度を超えているだろうか。顔中の毛穴から汗が噴き出してくる。いくら手で拭き取ろうとも、決して収まることはない。
　急に、むっと温度が増したような気がした。
　横を見ると、頭に黒猫を乗せた白い巨大なぬいぐるみが立っていた。
「そろそろ、行きますか？」
　頭上の黒猫。ケット・シーが言った。
　クラウドは、鉄の扉の前に立っていた。所々に赤錆が浮かんだ、巨大な塊のようなそれが、海原を見下ろす要塞への入口だ。
　ケット・シーを乗せたデブモーグリが、ボールのように巨体を弾ませて前に歩み出た。手袋をはめた丸い手を伸ばして、操作盤にロックの解除コードを打ち込んでいく。
「……どうだ？」
「あかんわ。ここも死んどる」
「俺に貸してみてくれないか？」
　ケット・シーと、後ろのティファに頷いて、クラウドは、錆びかけた扉に手をかけた。
「ムチャしますなぁ」
　そんな言葉をよそに、腰を低く落とし、両腕に力を集中させると、突然、がぎっ、と砂を噛み潰したような音がしたのを境に、扉の抵抗は軽くなった。
「あれ？」
「どうしたの？」
「この扉、簡単に動くぞ」
　開いた隙間に手を入れると、クラウドは、それを横に引いて見せた。扉は軽々とまではいかなかったが、それでも確かに動き始めたのだった。
　ティファもそこに手を入れて、思い切り引っ張ってみた。最初からロックなどというものがついていなかったかのように、緩慢な蛇のような早さで動くと、一分もしないうちに完全に開いてしまった。
「本当だわ！」
「誰かが一度、ロックを壊したんだ」
「そうかもしれまへんが、一体誰がやったんや？　こんなこと、この建物に相当詳しい人間やないと無理やで」
「宝条……かしら？」
　不安げに、ティファが言った。
「とにかく、中へ入ってみよう」
　仲間達が同意したのを確かめて、クラウドは、暗い洞窟のように開いた扉の向こう側に足を進めた。
　入口は元より、曲がり角ごとに警備員が配置され、厳重な警戒がされているはずの建物の中にも、人の影は全くなかった。
　奥へと続く照明の消えた通路には、不気味な空気が充満していた。
　自分達の足音しか聞こえない静けさ。建物内部のシステムが、全て沈黙してしまっているように感じた。
「一体、どうなっているんだ？」
　そう、口にせずにはいられなかった。
「わかりまへんなぁ……。とりあえず、上の方いってみまへんか？　奥の方も見てみないことには、何もわかりまへんやろ」
　ケット・シーが言った。
　確かに、この近辺に宝条が隠れているとは思えない。さらに奥へ進んで調べてみる必要があった。
　クラウドは、ケット・シーの意見に賛成した。
　通路の先の広間を抜けて、二階への階段に向かった。以前の要塞都市の支配者の全身像が、侵入者をいぶかしげに見下ろしていた。
　急かされるような気持ちで階段を駆け上がっていく。やたらに響く靴音が、緊張感をあおった。
　その時、銃声が立て続けに鳴り響いた。建物の内部に反響し、その音は大きく響きわたった。
　後ろの方で、ティファが驚いて声を上げたのが聞こえた。
　背中の剣に手をかけ、クラウドは走った。
　何かがうごめくように、胸が騒ぎ始めていた。
　二階の床を踏み付けた時、そこに普通ではない空気が漂っているのがわかった。
　短い金髪の女性を従えた一人の男が、そこに立っている。
「止まりなさい！　動いたら、撃つわよ」
　警告したのは、ミッドナイト・ブルーのスーツを着込んだ女性。イリーナの方だった。
「久しぶりね、クラウド・ストライフ。ここで会ったが、……えっと、何年前だったかしら」
「もういい。無駄話はそれぐらいにしておけ」
　隣の男、ルーファウス神羅はそう言ってイリーナをたしなめた。純白のジャケットを身にまとい、年代物のショットガンを、まるで、ペンを手にするかのように無造作に持っている。短い金髪。青い瞳の鋭さは、鷹の類のそれに似ていた。
「し、社長！！」
　遅れてやってきたケット・シーが叫んだ。言葉遣いのイントネーションが、リーブの時の喋り口調に戻っていた。
「なんで？　どうしてここがわかったの！？」
　クラウドの少し後ろで、ティファが言った。
「あれから、アドレスは変わっていなかったようだな」
「と、言いますと……あのメールは、まさか！」
　驚きながら聞き返すケット・シーに、ルーファウスはただ、冷たい笑みを浮かべるだけだった。
「お前達の目的は何なんだ？」
「部下の不始末を清算するため。とでも言っておこうか」
　冷ややかに言い放つと、額にこぼれた髪を指先で掻き上げた。
「曲がりなりにも、彼等は私の部下だった者達だ」
「そこをどけ！　この先に宝条がいるんだな！」
　鈍色の長剣が、宙を掻きむしった。
「願わくば、邪魔はしないでくれ。決着は我々でつける」
「何！？」
「……と、そう思っていたのだが、事情が変わった。こちらの計算違いだ」
「どういうことだ、説明しろ！！」
　抜きはなった剣をルーファウスに突き出すと、側に控えていたイリーナがさえぎるように立ちはだかり、クラウドの方へ銃口を上げた。
　仕方なく、バスターソードを下げる。
「その暇はない。が、中に入ればすぐに理解できるはずだ。過去のことで対立している場合ではないとな」
　ルーファウスはショットガンを、両方の手で横様に抱くように構えた。
　振り向いたイリーナと視線を交わし、二人は去っていった。
「待てっ！」
　クラウドは、すぐさまその後を追った。彼等の行く先に、必ず何かがあると確信していた。