TheMissingWing

　一瞬の視線をルクレツィアに送り、ヴィンセントは、二階の部屋へ走った。
　階段を上りきったところで、背後から、銃声と悲鳴が交互に響いたが、足を止めることはなかった。どちらも男のものだった。
　黒髪が頬を叩く。
　部屋に辿り着くと、ドアを勢いよく開け放った。
「ヴィンセント！　何、今の銃声は！？」
　エアリスが、椅子を立って振り返った。
「……来たのか」
　ベッドから上体を持ち上げながら、セフィロスが言った。
「ああ。宝条の手の奴等だ」
　ヴィンセントが言い終わったのと同時に、また一発の銃声が轟いた。
「早く、お前達は逃げろ」
「ルクレツィアさんは？」
「心配するな。彼女なら、大丈夫だ。……それより、急げ」
「わかったわ」
　エアリスは、真っ直ぐ視線を向けて頷いた。
「待て。……オレも戦う」
　立ち上がったセフィロスは、ヴィンセントに、鋭い眼差しを向けて言った。
「セフィロス！　まだ無理しちゃダメだよ！」
　エアリスが引き止めるのを払い除けて、壁に立てかけられた愛刀に手を伸ばそうとした。
　ヴィンセントは、その腕を掴んだ。
「放せ！」
　セフィロスは叫び、ヴィンセントの手を振り払った。
「……お前は早く、エアリスと逃げるんだ」
「オレは……母さんと戦う。奴等と戦っているのは、母さんなんだろ？」
　そう言い放った時、青緑色をした二つの瞳は、ルクレツィアと同じ、魔性の輝きを放っていた。セフィロスにはわかったのだろうか。母の瞳に、自分と同じ黒い月が現れたことを。
　ヴィンセントは言った。
「ルクレツィアは、お前達を逃がすために戦っている。セフィロス、お前はエアリスを連れて逃げろ」
「しかし……！」
「彼女は、お前を信じているのだ。私もルクレツィアと奴等を足止めする。その間に……」
　深い沈黙の後、セフィロスはその視線を、エアリスに向ける。
「ねえ、早く！」
　エアリスが言った。酷く心配そうな面持ちをしている。
「悪いな、エアリス」
「えっ！？」
「──オレはもう、母さんに無理をさせたくない」
　立てかけた正宗を掴み取り、刀袋の緒を解きながら、セフィロスが言う。
「どうするつもりだ？」
「ヴィンセント。オレは、クラウド達にもエアリスを守ると約束した。だが、今は母さんのことも守ってやりたい」
「その身体で、奴等と戦うというのか？」
　上着に袖を通し、セフィロスは言った。
「……悪いが、オレはそのつもりだ」
　病み上がりとは思えぬほど、鋭く、強気な眼差しを、ヴィンセントに向けている。そこには、憎悪の炎に駆られた、かつての銀髪の魔人の姿はなかった。ヴィンセントは、セフィロスの様子を見てそう感じた。
「ダメだよ、無茶しないで、早く逃げよう」
　そう言ったエアリスの肩に手を置き、セフィロスは横に首を振った。
「頼んだぞ」
　正宗を手に、セフィロスが部屋を飛び出した。
　止めようと伸ばしたヴィンセントの腕は、何もない宙をむなしく掻き乱した。
「──どうしよう……！」
「ここで待っていろ」
　ヴィンセントは、エアリスに向かってそう叫んでいた。
　部屋を出ると、廊下まで硝煙の臭いが立ちこめていた。
　銀の影は、階段を駆け下りて行った。
　壁に背を向けて、ヴィンセントは、下の階の様子をうかがった。物音に振り返ると、エメラルドの双眸を潤ませたエアリスが、いつの間にか立っていた。
「何をしているんだ……」
　立ち尽くしたまま、返事は返されなかった。
　ヴィンセントは、陰に隠すように、エアリスを床に伏せさせると、クイックシルバーに残っている弾丸の数を確認した。
　新しい弾丸を補充し、下の広間へ目を向ける。
　宝条が差し向けた男達と、ルクレツィアの戦いは続いていた。
　そこへ、大太刀を手にした銀髪の男が躍り込もうとしている。
「奴だ！　奴を捕らえろ！」
　肩を押さえたリーダーが、よろめきながら部下に叫ぶ。外からも、待機していた部下が駆けつけて来た。
　次の瞬間、階段を駆けて来るセフィロスに、一斉に全ての銃口が向けられる。銃を構える手には、一様にわずかな震えが見えた。
「ターゲットに余計な傷をつけるな！　足を狙え！！」
　最初の火花が、大気を切り裂いた。
　銃弾は、まだ青白い頬をかすめていった。
　紅の線。
　硝煙の霞が、辺りに渦巻く。
　恐怖に喉を締め上げられながら、馬鹿野郎、とリーダーがうめいた。
　セフィロスは、頬に拳を擦り付けた。
　広間に面した廊下の端に隠れるヴィンセントの方からは、その顔を全て見ることはできないが、若干、頬の端に赤いものが見て取れた。
　撃った男が、逆さ吊りにされたハツカネズミのような悲鳴を上げている。
　抜き放たれた正宗が、鋼の色を光らせて、最初の弾丸を放った男に襲いかかった。甲高い音を立てて、銃が頭上へ舞い上がる。
　下から振り上げられた正宗の刀身は、闇色の上着を裂き、男の身体には数ミリの傷も残さずに、真白いシャツまで断ち切った。
　自分は切り捨てられたものと思い込んだのか、男はそのまま、真後ろへ倒れた。
　傷を受け、腕に血を滲ませたルクレツィアが、刃を振るう息子の姿を見て唖然としていた。
「何をしているの！？　早く逃げなさい！！」
　絶好の隙を見つけ、すかさず向けられた拳銃の持ち主を、セフィロスが打ち据える。
「……オレは、母さんを放っては行けない」
　セフィロスは、ルクレツィアに背中越しに言った。
「いいだろ？　……母さん」
「──何言ってるんだか。この子は……」
　男達が、ルクレツィアとセフィロスを遠巻きに凝視する中、リーダーが視線を階段よりも上の方へ向けた。
　ヴィンセントは、マントの陰にエアリスを隠した。
　その直後に、リーダーが言い放った。
「娘は二階だ！」
　一人が、階段へ走る。
　水晶の欠片のようなルクレツィアの爪が、その胸ぐらを掴み上げた。
「はっ、放せ！　この化け物が──」
　ルクレツィアが両手で襟元を掴むと、男の身体は５０センチ近く浮き上がった。足をばたつかせながら、男は間の抜けた悲鳴を上げる。
「私はね、好きで化け物してるんじゃないのよ～」
　にっ、と微笑んで、ルクレツィアは男を放り捨てた。
　背中から階段に叩き付けられ、したたかに後ろ頭をぶつけた音が響く。
　銃を手に、男が唸りながら顔を上げると、鼻の何センチか先に、セフィロスが構える正宗の切っ先があった。
「奥の部屋へ行け。地下室に隠れていろ」
　広間を見下ろし、ヴィンセントは、エアリスに言った。臙脂色のマントの陰から、栗毛の頭が覗いている。
　しかし、エアリスはそれとは反対に、ヴィンセントの腕を振り切り、階段の方へ走って行った。
「待て！」
　ヴィンセントは走り出し、その後を追う。
「来るな！！　お前は早く逃げろ！」
　エアリスの行動に気付き、セフィロスが叫んだ。
　その時、エアリスは階段の中程まで駆け下りて来ていた。
　栗色の髪を踊らせ、エアリスが広間の床を踏むと、大太刀を構えたセフィロスが駆け寄った。肩に手をやり、一瞬、二人の視線が重なる。そして、エアリスを側に寄せた。
　うつむいたまま、エアリスは何も話そうとはしない。
　黒服の男達が、二人を取り囲むのにそう時間はかからなかった。
　二人を見下ろす位置に立っていたヴィンセントは、徐々に歩みを止めた。クイックシルバーの引き金に、指先を当てたままでいた。
「予想はしていたが、ここまで手こずらせるとは……。まったく。親子揃って、とんでもない連中だな」
　リーダーが吐き捨てる。自分の上着を破き、肩の止血に使っていた。
　帽子の下から、視線をセフィロスに向ける。
「十年近く氷漬けになっていたというのに、腕は鈍っていないようだな。さすがは、神羅が生み出した最強の戦士、伝説のソルジャー。とでも言っておこうか」
　リーダーは、負傷した肩とは反対の手に銃を握っている。そして、二人に向けて銃口を上げた。
　ヴィンセントは走り、リーダーの足下に三発の弾丸を撃ち込んだ。
　古く痛んだ床板に火花が散る。
「貴様！」
　銃口をリーダーに固定して、ヴィンセントは、エアリスの前に立った。
「……お前にたずねる。目的は何だ」
「俺達は関係ない。雇われの仕事を働いたまでだ」
「そうか……。では、誰の依頼でここに来た」
　一歩分、ヴィンセントは距離を縮めた。
「そいつは言えねえが、そこの二人を連れてくれば５００万ギル払うと言われた。俺達は、単にそいつから依頼を請け負っただけだ」
　リーダーの額に汗が浮かんでいる。
「俺達の他にも、声をかけて雇っていたぜ」
「それは本当か？」
「ああ、嘘なんてついちゃいねえ。全部本当だ」
　声が震えている。
「さて、どうだかな……」
　ヴィンセントは、さらに一歩分の距離を詰めた。
「俺達はもう降参だ。もう関わりたくもないさ」
　無視して、二歩目を踏み出した。
「ほ、本当だ！　俺達は手を引く！　──肝心のターゲットがこの強さだ。金が手に入っても、仲間の医療費で全部飛んじまうぜ」
　リーダーがそう言って、銃を床に投げ捨てた。それを見た部下の男達が、悔しげな声を上げる。
「速やかに、ここから立ち去れ……」
　ヴィンセントは、床に落ちた銃のグリップを踏みしめ、降伏した男達全員に向かって言った。男達は、素直に従った。気を失って倒れた一人を残して、早足に屋敷を後にしたのだ。
　硝煙の臭いに染まった広間を見渡し、ヴィンセントは、ホルダーにクイックシルバーを収める。
　振り返ると、そこにセフィロスがいた。エアリスが顔をうつむかせて、その隣に立っている。怯えているのか、肩が震えているようだった。
　セフィロスが、鞘に戻した正宗を肩にかけて歩き出した。エアリスがその後に続く。
　ヴィンセントは言った。
「行くのか？」
　扉の前に立ったセフィロスが、静かに頷いて見せる。
「済まないな。色々と迷惑をかけてしまった」
「外はまだ危ない。もう少し、この屋敷にいたらどうだ？」
　その時、ルクレツィアが腕の傷を押さえながら、ヴィンセントに、二人を見送ってやるように言った。変身の反動か、疲労で両膝を床に着けているルクレツィアに代わり、ヴィンセントは、屋敷を後にした二人を追った。