エアリスが、神羅ビルでの出来事を仲間達に話し出した。
宝条の放った言葉、セフィロスがとった行動、その全てをエアリスは語った。真っ直ぐな眼差しは、偽りを語っているようには思えなかった。
その時、クラウドは、視界にエアリスの姿を入れつつ、セフィロスの方も見ていた。程良く年季の入った酒場の壁の前で、口を閉ざしたまま立ち続けている様子を、同じように黙って見ていたクラウドは、二人の横顔を同時に見ているうちに、あることに気が付いた。何故、今まで気が付かなかったのか、この時ばかりは、先入観の恐ろしさを認めざるを得なかった。
エアリスに向けられている、魔晄の光を帯びた眼差しは、故郷と家族を奪い去った、あの残酷な男の目ではなかったからだ。冷ややかではあるが、けして冷酷ではない。それ以上に、強い意志と気高さが感じられた。
クラウドは、今と同じ目をしたセフィロスを見たことがある。
ひょっとしたら、自分は考えを改めなければならないのではないか、クラウドはそう思った。
今、クラウドの前にいるのは、神羅軍に所属していた頃、同じ部隊で共に戦った、英雄の名を欲しいがままにしていた、あの頃のセフィロスではないのだろうか？ その強さに憧れ、ソルジャーを志すきっかけになった一人の戦士。再び目の前に現れたのは、あの孤高なる伝説の男の姿ではないのか。
思いを巡らせた後、クラウドは頭を振った。たとえそうであっても、無闇に思いこむのは危険だと判断したのだ。ユフィに言われなくとも、あの事件の傷は時間に風化することなく、心に深く刻み込まれている。
「──ティファ、どうかしたのか？」
「えっ？ ……何でもないよ」
「肩が、震えているぞ」
クラウドが言うと、ティファは、とっさに肩に手をやった。同じ肩の上に、クラウドの手が重なる。指の間を黒髪が流れていった。
「大丈夫、心配するな」
クラウドは、半分、自分にもそう言い聞かせるように言った。
「……うん」
ティファが答えてからしばらくして、エアリスの話は終わった。
一部は、それでもまだ腑に落ちないといった顔をしていた。今後、宝条がどんな行動をとるつもりなのかを話し合う必要があったし、幾つかの質問も上がった。だが、今夜のところは、明日に備えて解散、速やかに就寝という運びになり、それぞれ、今夜の寝床へと向かった。
「あっ、あのさ……」
ユフィが、何気なくエアリスに近付きながら言った。
「ちょっと、言い過ぎちゃった」
「ユフィ、もういいの」
「そう？ ……でも、ごめん、アタシも悪かったよ。じゃ、明日また！」
そう言って返事も聞かずに、階段を駆け上がっていった。
「クラウド、俺達は地下の方へいくぜ」
「ああ」
バレットに頷いて返すと、クラウドは、セフィロスの方を振り返った。店の隅で夜を過ごすつもりなのか、壁に背中を着けたままだった。
クラウドの視線に気が付いたのか、セフィロスがうつむかせていた顔を上げた。
「おい、早くこいよ！」
シドが急かした。
「わかった、今行く」
クラウドは、地下室へ降り始めた、ピンボール・マシーンに偽装したエレベーターに飛び乗った。その時、最後に見たセフィロスの顔は、何故か、静かに笑みを浮かべているように見えた。もし、本当に笑っていたのなら、クラウドは数年ぶりに、普通に笑うセフィロスの顔を見たことになる。
久しぶりの笑顔が、寂しげだったのは気のせいか、その風貌のせいだったのだろうか。
春とはいえ、日の昇る前の早朝の空気は、氷のように冷たかった。空は、淡い紫色を帯び始め、微かに雲が銀灰色に染まっていた。
『Ｂａｒ ＳＥＶＥＮＴＨ ＨＥＡＶＥＮ』の古びた看板が、人の気配がない街を、物言わずただ見据えている。裏口前の細い道は、静寂そのものだった。
それを破ったのは、小さな鍵の音だった。寝間着の上に、厚手のガウンを羽織ったエアリスが、裏口のドアを押し開けて姿を現した。部品が古いのと立て付けが悪いせいで、板と蝶番が互いにうなり声を上げた。
「どうしたの？ こんな朝早く……」
道の向かい側に、セフィロスは立っていた。服装は、昨夜と同じ格好をしている。
セフィロスが、エアリスを呼び出したのだった。
「何？ 話って」
持っていた布巾に包んだものを、エアリスに渡した。布地を通して、重いものが入っている感触がする。
受け取ったエアリスが、中を見ても構わないかとたずねてきた。
セフィロスは、黙って頷いて返した。
エアリスが慎重にタオルを開いていくと、柔らかい布の中から、鈍い鉄の色が見えた。エアリスは驚きの声を上げた。
それは、バーの調理場にあった、小振りのナイフだった。刃は小さいが、よく研ぎ澄まされている。
思わず顔を上げ、セフィロスの方を向いた。
「何、これ……」
戸惑うエアリス。
セフィロスは、おもむろに上着に手をかけた。
「お前に、頼みたいことがある……」
フライトジャケットが、地面に落ちる。
エメラルド・グリーンの瞳が、大きく見開かれた。
「オレを、殺してくれ──」
言葉は、何の抵抗もなく、朝の大気に解き放たれた。
普通より短い時間だったが、それが、一晩の間考えた結果だった。自分が本当に求めているのは、温かい手と毛布ではない。地の底での永眠を望んでいるのだ。
刹那、二人の間を流れる時間が凍りついた。
セフィロスは、シャツを脱ぎ捨てると、肩と腹に不器用に巻かれた包帯を引き剥がした。傷は完全に塞がっている。そして、エアリスの手を掴むと、ナイフの柄をしっかりと両手で握らせた。
「もう、オレは存在しなくてもいい。むしろ、ここにいない方がいいんだ」
「……何を言っているの？ わたし、わからないよ」
こぼれ落ちた吐息が、白く霞んで、大気に消えていく。突然のことに、言葉を理解することができなくなっているのだろう。
戸惑い、怯えきった瞳をしている。
できることなら、エアリスは今すぐにでも、全ての光景から目を背けたかったに違いない。だが、その両手を握る手、セフィロスの瞳は、それを許さなかった。
「どうして？ わたしに、こんなことを──」
エアリスの声は、酷く震えていた。
「お前にだからこそ、頼みたいんだ」
「……やめて」
そう言って顔を伏せながら、エアリスは強く首を振った。続きを聞くのが恐ろしいのか、何も理解できないまま、戸惑うことしかできないでいるのだ。
「もういいんだ、エアリス……」
セフィロスは、口調から感情を殺して言った。
「宝条が狙っているのは、お前だけじゃない、オレもそうだ──オレがお前といれば、いつかお前を巻き込むことになる」
「生き……残り……」
エアリスが呟く。
「……？ 奴がそう言っていたのか？」
首を縦に頷いて、エアリスは言った。
「やっと探し出した、大切なサンプルだって……」
「奴にとって、オレ達はそれだけの存在、ただの研究材料だ。オレが生き返った理由も、単に奴の都合でしかない」
そう言いながらセフィロスは、エアリスの顔を覗き込んだ。
「復活なんて、オレは望んでいなかった……」
うつむいたエメラルドの瞳が、凍えたような眼差しで、碧色の瞳を見つめ返した。
「でも、セフィ──」
エアリスは最後まで名前を言うことができなかった。
震えるエアリスの手を押さえつけると、セフィロスは、ナイフの先端を、自らの胸に向けた。
「お前は、この角度のまま力を入れて押せばいい。……真っ直ぐ刺すんだ。付け根まで入ったら、手を放せ。その後は、何も考えなくていい……」
適切な命令が、エアリスに下された。肋骨の間に刃を差し込み、確実に心臓を突き刺す方法である。小さなナイフでも、十分に命を奪うことができる。
ナイフを握ったエアリスの両手は、セフィロスの手によって、しかるべき角度に固定された。微妙に横に寝かされたナイフは、早朝の薄暗い中で、鈍い輝きを放っていた。
「やめてよ……。わたしに、こんなことさせないで……」
エアリスの言葉は、徐々に、途切れ途切れになっていった。無理に落ち着こうと喘げば喘ぐほど、喉が冷気に凍りつき、息を吸うにも、吐くにも苦痛をともなうのだ。一方、セフィロスは、他から見れば異常なほど落ち着いていた。
「わたし、こんなことやだよ。いなくてもいいなんて、そんなこと言わないで……」
エアリスは、セフィロスの顔を見上げた。潤んだ瞳は、必死に何かを投げかけようとしていた。言葉として表せない分を、何とかして伝えようとしている、そんな目をしていた。
残念なことに、セフィロスは眼差しの意味を理解することはできなかった。
──我が魂に、最後の安らぎを。
それだけを望み、願い続けていたからだ。
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