「──着いたな」
　セフィロスが言った。
　やや置いて、鈍いブレーキの音が響く。車体が大きく前に揺れると、列車は、新七番街駅に停車した。
　エアリスが立ち上がったのを確認すると、セフィロスは扉の鍵を外した。重い引き戸式の扉を開くと、夜独特の風が吹き込んできた。
　先にセフィロスが外に出て、周囲を見渡した。
「足の怪我は、大丈夫か？」
　そう言って振り返ると、エアリスに手を差し出した。特に、人影は見あたらなかったようだ。
「うん、もう平気。心配しないで」
　エアリスは、差し出された手を掴むと、扉にもう一方の手を当てながら、左足から着地した。
「無理するなよ」
　二組の靴が、敷き詰められた石屑を踏む音がした。
「急ごう。人がいないうちに」
　セフィロスが言うと、二人は足早に歩き出した。
　今は使われていない線路を飛び越えて、駅舎の裏を回って行くことにした。後ろを振り返ると、遠くにプラットホームの明かりが見えた。空は雲が多く、星の数が少ない。プラットホームを背にしてからしばらくして、背後から甲高い警笛が聞こえてきた。
　新七番街駅を後にした二人は街に出た。スラム地区に入ると、けばけばしい雰囲気が二人を襲った。夜も遅く、最終列車も過ぎた後だというのに、雑然とした街は活気にあふれていた。
　最終を逃し、駅前にたむろする人々。その主な原因であろう飲み屋の派手な看板が、プレートの抜け落ちた向こうに広がる、夜空の星よりも輝いていた。道に点在する街灯の火が、さらに街を明るく照らし、あらゆる影を四方に走らせている。
　あまり良い表現の見つからない、人の根本的な欲望とそれが生み出す熱気が立ちこめる混沌の街。それが蘇った七番街スラムの姿だった。
　さらにスラム街を歩いて行くと、比較的落ち着いた店構えの一軒の酒場にたどり着いた。他の店とは違い、派手な外装もなく、静かに酒を飲める居酒屋風のバー、という感じの店だ。
「セブンス・ヘブン……」
　エアリスは、看板を見上げるセフィロスの袖を引っ張った。
「先に行ってるね」
　そう言うと、駆け足で階段を上がっていった。エアリスが店の扉をくぐると、多くの人と椅子がざわめくのが聞こえた。
　次の瞬間、魔晄の目をした青年が飛びつくようにエアリスの肩を抱いた。
「……心配した？　ごめんね、帰るの遅くなって」
　エアリスが言うと、クラウドは黙って首を振った。何も言わず、ただ、強く抱き締めていた。
「エアリスぅ〜！！」
　今度は、炎に似た赤い毛並みの動物が、小犬のように跳ねながら駆け寄ってきた。エアリスは、クラウドの腕を離れ、両手でレッドをたてがみが台無しになるまで撫でてやると、鼻先に軽くキスをした。
「ごめんね、みんなに心配かけちゃって……」
「オイラねー！　オイラねー！　エアリスがいなくなっちゃって、ほんとに……本当に心配だったんだよぉ〜」
　自分の顔よりも大きなレッドの頭を、エアリスはしっかりと抱き締めた。レッドが、エアリスの肩の上に前足を乗せている。
「エアリス、本当に良かった……」
「うん。クラウド……」
　居合わせた仲間達──カウンターの向こう側にティファとユフィ、奥のテーブルのバレットとシドも、エアリスの帰りを心から喜んでくれた。
　クラウドは瞼を擦ると、改めてエアリスの顔を見つめた。無垢な笑顔が、心の底から滲み出ていた。
「エアリス、本当に無事で良かった。──俺、レッドと君の後を追ったんだ。一体、どうやって宝条のところから抜け出したんだ？　宝条は、セフィロスが君を連れ去ったと言っていたが……？」
　エアリスの顔から微笑みが消えた。
「……そのこと、なんだけど……」
「……どうしたんだ？」
　エアリスは、店の外に視線を向けた。青緑色の瞳がそこにあるのを確認すると、それに向かってゆっくり頷いて見せた。
「あのね、クラウド……わたし、みんなにも言わなくちゃいけないことがあるんだけど──」
　板が軋む乾いた音がした。
　次の瞬間。一匹の獣を含むエアリス以外の店中の人間の背中に、鋭い緊張が走った。
「──驚かないで、聞いてくれる……？」
　元神羅の飛空挺技師シドが勢いよく立ち上がったのを筆頭に、大男のバレットが銃に改造された片腕を店の外に向け、ティファは得意とする武術の構えを取り、拳を構えながら、こみ上げる震えを押さえ込んでいた。ユフィはカウンターを飛び越えると、ベルトの隠しナイフを抜きクラウドに並んだ。クラウドは剣を手にすると、扉の外に目を向けたまま動かなかった。その足下で、レッドが低くうなり声を立てている。
　仲間達の反応に、エアリスは少々戸惑ってしまった。こういうことになるとは、多少予想していた。だが、仲間達の行動はそれ以上だった。
「そこにいるのはわかってんだ！　とっとと出て来やがれ！！」
　シドが叫んだ。思わずエアリスは後ずさりしてしまった。
　扉の向こうに目をやると、セフィロスは、どうしたものかというような顔をして、店の外に立っている。
　エアリスは、クラウドの方を向いた。
「……入れてあげて、いい？」
　クラウドは、黙ったまま頷いた。それでも、まだ少し心配だった。エアリスは、外で待っているセフィロスを、バーの店中へ入れた。足を一歩踏み出す度に、周りの緊張が高まっていくのが目に見えてわかった。
「本当に生き返っていたのか……」
　クラウドが言うと、セフィロスはゆっくりと頷いた。
「……まあな」
　剣の柄を握るクラウドの手が、わずかに震えていた。
「お前は、エアリスに何を……！」
「待って！」
　エアリスは、二人の間に割って入った。腕を大きく広げ、クラウドの前に立ちふさがった。
「……セフィロスは、わたしのこと助けてくれたの！」
　そう言うと、一斉にざわめく声がした。皆、信じられないといった顔をしている。
「……本当なの？」
「うん、そうだよ」
　エアリスは、ティファにそう言った。
「そうなのか？」
　魔晄の光を帯びた青い瞳が、それとよく似た雰囲気の碧色の瞳を見返していた。クラウドの質問に対して、セフィロスは、ただ黙って頷くだけだった。
「クラウド、心配しないで……。セフィロスはね、わたしが危ないところを助けてくれたんだよ」
　クラウドの側に寄りながら、エアリスはそう言った。しかし、クラウドは素直に認めることはできないようだ。
「……どういうことなんだ？」
　クラウドが問い掛ける。
　今までのことを説明しようと、セフィロスが口を動かしかけた、その時だった。鋭い風を裂くような音がして、つま先の前に細い刃物が突き刺さった。
　周囲の視線がある一点に集まった。
　短く揃えた深いブラウンの髪に、大きなブラウンの瞳、動きやすそうな軽装の少女は、いつの間にか２番テーブルの上に陣取っていた。
「そこまでだよ！　それ以上、エアリスに近付くな！」
　ユフィが手の中の残りのナイフを、わざと店の照明で光らせながら言った。忍者の末裔と口で言うだけあって、その動きは文字通り早業だ。
「ユフィ！」
　クラウドの方を向き直り、ユフィは強く言い放った。
「そいつの言うことなんか信用できないね！　どれだけそいつに騙されたか、クラウドはもう忘れちゃったの！？」
　そう言ってテーブルから飛び降りると、セフィロスに向かって拳を打ち出す真似をした。
「さぁ、どっからでもかかってきな！　このユフィ・キサラギ様が相手だ！！」
「ユフィ、違うの！　セフィロスは……」
「セフィロス、セフィロスって、いつからエアリスはこんな奴の肩を持つようになっちゃったんだよ！」
　ユフィが信じられないのも無理はない。セフィロスはエアリスを殺し、星から全てを奪おうとした男なのだから。
　それ以前に、クラウドとティファは、故郷と家族を奪われ、心も身体も深く傷つけられた経験がある。ユフィも、ウータイ大戦の敗北という形で、生まれ育った土地を争いに汚されていた。
「アタシは信じないよ。エアリスは騙されてるんだ！」
「……オイラ、違うと思うな」
「ええっ！？　なんだよいきなり！」
　不意に、レッドがユフィに向かって言った。
　レッドの姿勢は、激しい威嚇の体勢から、尻尾を下ろした、落ち着いた状態に変わっていた。
「オイラも信じられないよ。でも……」
　レッドは、ユフィ、エアリス、クラウドの順で顔を見上げると、板張りの床に腰を下ろし、前足で器用に耳の裏を掻く仕草をした。
「エアリスが嘘ついているようには見えない……それに、セフィロスもなんだか違うような気がする……」
「違うって、どーいうことさ！？」
「ん？　うーん……。口で言うのは難しいんだけど……なんてゆうのかな、オイラの感覚でいうと、匂いが違うんだよね」
　ごろりと腹這いになった格好になると、レッドは、ユフィの方を振り返った。普通の猫を、そのまま巨大化させたような行動だった。
「匂い？　なにそれ」
「それを人に説明するのが難しいんだ」
　ユフィにそう言うと、レッドはゆっくりと立ち上がった。
「雰囲気、みたいなものかな。人によって色々違うんだ」
　そして、クラウドの隣で無言のまま立っているセフィロスに、レッドは片方だけの視線を向けた。
「今のセフィロスは、全然昔と違う、別の匂いがするんだ。昔と違う……思い出してもぞっとするよ、乾いた血みたいな匂いがしたのに」
「それが、今は違うってこと？」
　ユフィが、あきれたような表情で首を傾げた。
「で、それはどーいうことなわけ？」
「つまりそのー……オイラはね、信用してもいいかなー、って思うんだけど」
「はぁ！？　レッドってば、何言ってんだよこんな奴に」
　ユフィがレッドに詰め寄っていくと、クラウドが静かにそれを制した。ユフィが反論すると、クラウドは首を横に振ってから言った。
「ユフィ、気持ちはわかるが──」
「……オレは、何もしていないからな」
　突然、今まで黙っていたセフィロスが割って入ってきた。
「な、なんだよ！　その言い方！」
　よほど気に障ったのか、クラウドを振り払い、ユフィが食ってかかる。セフィロスは、依然として平然を保ち、無表情だった。
「ちょっと、みんな待ってよ！」
　エアリスが叫ぶと、静寂が、一瞬にして広がった。
「突然のことで、みんなが信じられないのもわかるよ。……でもね、セフィロスは、本当にわたしのことを助けてくれたんだよ」
　静まり返ったバーの店内に、言葉だけが響いた。
「嘘なんか言ってないし、それだけは、信じて欲しいの。だって、せっかく助けてくれたのに、こんなのって……」
　一呼吸置いて、エアリスは自分を落ち着かせた。気持ちが先走りしてしまっていた。
　エアリスの肩を、そっと叩く手があった。
「わかったよ、エアリス」
　クラウドが言った。
「信じるから、君のことを」
「……ありがと、クラウド」
　そして、もう一回エアリスの肩を優しく叩いた。
　クラウドが振り向くと、そこにはティファとシドが立っていた。クラウドが二人に言った。
「信じよう、エアリスのことを」
「お、俺は信じねえぞっ！！！！」
　店の奥でバレットが叫んだ。エアリスが潤みかけた眼差しを向けると、バレットは、振り上げた手を後頭部へ持っていきながら後ろを向いて、小さく舌打ちをした。
「後で、わたしが全部説明するから……」
　セフィロスが不意に振り向く。背後に感じ取った力強い視線の主はシドだった。
「しっかし、わかんねえよな……」
　実際の年齢よりも若々しく、熱い輝きすら感じる眼差しは、迷うことなくセフィロスに向けられている。
　視線をそらすことなく、シドは言った。
「オレ様達は、確かにお前さんを北の大空洞でぶちのめしたんだぜ。それに関しちゃ、お前さんが一番よく知ってるんだろうが──」
「あのさ、シド」
「ん？　なんだ？」
「そういうことは、後でわたしが話すから……」
「お、おう、そうだったな」
　そう言ってシドは、慌てて思い出したように、くわえていた吸い殻同然の煙草を、テーブルの灰皿に押しつけると、髪の毛と同じブロンドの無精髭を、笑いながら掻きむしった。