TheMissingWing

　正宗を両手で構え直し、宝条は上を見やった。
　頭上に身を投じたか。いや、宝条の予測は外れた。セフィロスは、深く身体を沈め、宝条の懐の真下に潜んでいたのだ。
　宝条がうめいたのを見て、上を見やる表情が、一瞬、微笑の形を取る。
　突き上げられた足が、正宗を掴んだ腕に叩き付けられ、弾き飛ばされた正宗が宙に舞う。ゆらり、と刀身が輝いたかと思うと、次の瞬間、その身を元の持ち主の手に委ねていた。
　セフィロスの手に戻った正宗は、宝条に向けて青眼に構えられた。怪しく刀身を輝かせる様子は、主との再会を喜んでいるようだ。
　宝条は一時後へ下がり、対抗できる武器を探した。デスクをまさぐる手が、小さな刃物を掴んだ。それは、研ぎ澄まされた一本のメスだった。
　宝条がメスを手にした。
　その時、セフィロスの周囲に風が目覚めた。戦場に伝説が一つ生まれる時に、血臭と硝煙の中に吹き荒れた風と、同じ風が研究室に起こった。
　銀の色をした狂風。
　握り締めたメスが前へ向けられた瞬間、宝条の腕の肘から先が闇に消えた。
　宝条は、喉を押し潰すような悲鳴を上げると、鮮血を吹き上げる腕を押さえてうずくまった。
　一瞬にして、右腕は切り落とされたのだ。
　自分の流した血の上で、もだえ苦しむ宝条の様子を見ると、セフィロスは、正宗を強く振り下ろして、刀身についた血を払い落とした。
　柄を持つ手が熱い。まるで、赤熱した炭を握っているように熱かった。指の末端の感覚がない。久しぶりの感触だ。押さえても、どんなに頭で押さえ付けても、全身の興奮が落ち着かなかった。
　少し、おかしく思った。数え切れないほど人を殺してきた自分が、たった一本腕を斬ったぐらいで、こんなにも心が動いているのだ。だが、それは、まだ身体が本調子ではないからだ。昔の感覚を取り戻すのに、大して時間はかからないだろう。セフィロスはそう考えた。
　宝条が投げ捨てた鞘と布袋を拾い上げると、正宗を黒革の鞘に収める。そして、すぐさま視線を巡らせて、エアリスの姿を探した。
　エアリスは薬品棚に寄りかかった状態で、顔をうつむかせて座っていた。
　声をかけようと近付いて、一瞬、思い止まった。セフィロスはそっと側に寄ると、下の方から顔を覗き込んだ。エアリスは、気を失っていた。
　相当強い力で、宝条に突き飛ばされたのだろう。棚に叩き付けられた時に、打ち所が悪く、気絶してしまっていた。
　セフィロスは、鞘の緒を解き、正宗を袈裟掛けに背負うと、エアリスの身体を静かに抱え上げた。
　闇の中で黒く見えるウェーブのかかった長い髪は、本来は明るい栗色をしているはずだ。肌は色白で、あの時とは服装が違っていた。ブラウスの上に、茶系のワンピースをまとっている。
　力無くぶら下がったエアリスの腕を、静かに胸の上に戻してやった。
　細くて、白い指をしていた。
　エアリスを仲間の元へ帰すことができれば、一時的ではあるが宝条の計画は阻止され、エアリスは元の生活に戻ることができる。それから先は、彼等に任せよう。頼もしい仲間がいれば、何も心配することはない。
　もうすぐ、全ての仕事は終わる。だが、それは、セフィロスがこの世界に生きている理由がなくなるという意味を持っていた。
　自分には、帰る場所がない──。
　宝条の方に目を移すと、白衣を血で赤く染めながら、苦悶の表情を浮かべてもがいていた。両目を大きく見開き、セフィロスの方を睨み付けてきたが、数秒視線を交えただけで、すぐにそらした。
　宝条に背を向けると、気を失ったエアリスを腕の中に抱え、セフィロスは、その場を立ち去った。
　宝条は低く唸った。

　もう、そこに二人の姿はなかった。
　たっぷりと血を吸った白衣を引きずりながら、宝条は、切り落とされた右腕に手を伸ばした。
　健在の左手の指が腕に触れると、腕は反応した。まだ体温が残っている。宝条は、右腕を鷲掴みにすると、掴んだ右手を腕の切り口にあてがった。
　切り口が触れあった途端、腕の切断された部分が急激に盛り上がった。生物の触手のようにうごめきながら、筋肉組織の間に潜り込み、切断面を繋ぎ止めていく。同時に皮膚が音を立てて広がり、二分もしないうちに骨が完全に繋がった。その間、例えようのない苦痛と、異様な感覚に全身を乗っ取られていたが、鮮やかに切断された右腕は、再び元の姿に戻った。
　無事に繋がった腕を、宝条はじっくりと眺めると、指をゆっくりと握り、それから早く動かしてみた。
「あいつめ……」
　結局、自分には、息子の力を越えることはできないのか。
　宝条は、強く拳を握った。
　血の海に沈んだ身体は、仰向けの状態にあった。
　急に、部屋の外が騒がしいのに気が付いて、宝条は、血溜まりの中から、ゆっくりと立ち上がった。血を吸った分だけ、白衣が重く感じた。
　研究室に、二つの影が飛び込んできた。巨大な剣を携えた青年と、赤い毛並みをした大型の獣だった。クラウド・ストライフとレッドⅩⅢ。共に実験体として、以前自分の手元にいた者達だった。
「クラウドじゃないか、久しぶりだな……」
　魔晄の目を持つ剣士と赤い炎の獣は、宝条の姿を見るなり、素早く身構えた。
「相変わらず、その服を着ているのか？　よほど気に入っているようだな」
　親しげに、宝条はクラウドに話しかけた。
「宝条！　お前だったのか……」
「やい、宝条！　エアリスをどこにやったんだ！！」
　赤い獣が人語で叫んだ。
「やれやれ、今日は随分とお客の多い日だ」
　宝条は、再生したばかりの腕をさすりながら、彼等の方へ進んだ。靴の底が血を引きずって、床に赤い模様を描く。
「宝条、エアリスは何処だ？　この血は──」
「勘違いされては困る。大切なサンプルに傷などつけんよ。安心しろ、全て私の血だ」
　宝条は忠告したが、それで彼等が納得する様子はなかった。
「……エアリスは！！」
　クラウドがバスターソードを構えると、宝条は足を止めた。レッドも頭を低く下げ、獣特有の戦闘の体勢に入っている。
「エアリスを何処へやったんだ！！」
「君達の前に先客が来てな、奴が連れていったのさ」
　宝条は、嘘も偽りもなく、今あったことをそのまま伝えたが、クラウドはあまり信じてはいないようだった。
「先客！？　何を言っているんだ！」
　長剣を構えながら、クラウドが言った。
　彼等は、何も知らないのだ。
　唇の端がめくれてくるのを、宝条は押さえきれなかった。
「……何が、何がおかしいんだ」
　クラウドは、酷く困惑している様子だった。この部屋で起きたことも、そして、今、何が動き出そうとしているのかも、全くわかっていないようだった。
「君等にはわからないのか？」
「……？　どういうことだ」
「蘇ったのは、私だけではない……」
　宝条は言った。
「……まさか！」
　恐らく、その脳裏を一人の男の姿がよぎったのだろう。白銀の髪に、冷たい瞳をした、あの男が。
　何を思っているのか、手に取るようにわかった。
　宝条は、耐えきれなくなって大声で笑った。
「そうさ、クラウド！　お前のよく知っている奴だ！」
「セフィロス……なのか？」
　視線には、喪失感があらわになっていた。
「その通りだ」
　宝条は、クラウドにそう宣言したのだった。