TheMissingWing

　激しく降り注ぐ雨のせいで、街は暗く沈んでいた。
　二人は駆け足で、隠れ家となっている煉瓦造りの建物に駆け込んだ。
　外装が若干傷んでいるが、それでも見栄えは整っている方だった。神羅カンパニーの上級社員寮である。
　湿った靴音が玄関前に響く。二人とも、酷く濡れてしまっていたが、そんなことは気にしていなかった。
　レノは、恐る恐るドアを開けた。その後ろに隠れるように、巨体を無理矢理縮めたルードが立っている。
「ただいま……と」
　ドアを半分も開ける間もなく、正面の階段を勢いよく駆け下りて来る音がした。二人の背中につららが突き刺さった。下りて来たのは、蜂蜜色の髪をしたショート・ヘアの女性だった。明るい色のシャツにジーンズを着ている。
「お帰りなさーい！　雨、急に降り出したから、大変だったでしょ？」
　レノの後輩に当たる、タークスのメンバー。イリーナである。一時は実家に戻り、ごく普通の生活を送っていた彼女も、尊敬する主任の「帰ってこい。待っているぞ」という一本の電話でミッドガルの舞い戻ると、再びタークスの一員として、レノ、ルードの二人の先輩達と活動を共にしていた。
　イリーナは、いつもと変わらない、明るい笑顔で二人を出迎えた。
「二人とも、びっしょりですよ！　私、今タオル持ってき……。え？」
　イリーナの表情が一変した。
「あ……」
　凍りつく二人。
「きゃあっ！！　な、何ですかそれ！！」
「やばっ！！」
　イリーナは、すぐ気が付いたのだ。とっさに、レノは自分の上着の裾で銀髪の頭を隠した。ルードも協力して、巨体を屈めた。背負った青年は、痩身の割に重みがあるのか、やや足下が揺れていた。
「いや……帰りに拾ったんだけ……ど」
　無理矢理な言い訳も、事実なだけに必死だった。
「何言ってんですか先輩！！　……そっ、それっ！」
「イリーナ落ち着け！　混乱するのはわかるが話聞けよ」
「ええっ！　あ、はあ……」
「──いいか、イリーナ。こいつ、怪我しているんだ。怪我人は放ってはおけないだろ。安心しろ、ここに来るまでピクリともしなかった」
　レノがさとすと、イリーナは、少し落ち着きを取り戻した。しかし、まだ大分動揺している。
「でも、そんな……そんなの……」
「正直、俺達も驚いている」
　レノはルードの方を向いた。ルードは相方に頷いた。
　わたわたと落ち着かないまま、イリーナは言った。
「先輩、それで、この人は──」
「ああ、とりあえず……」
「──とりあえず？」
「イリーナ、お前の部屋に運ぶぞ、と」
「えーっ！　そんなあ！！」
「ほれ、これ持って」
「へっ！？」
　レノは、缶詰その他が入った紙袋を、素早くイリーナに渡した。
「行くぞ！」
「よし……！」
　二人はせいので息を合わせると、セフィロスを担ぎ上げて階段を駆け上がった。
「あーっ！　ちょっと！」
　イリーナが後を追おうとすると、不意に食堂のドアが開いた。
「おい、騒がしいがどうかしたか？」
　現れたのは、レノ、イリーナ達を率いるタークスのリーダー、ツォンであった。東洋系の顔立ちと、漆黒の髪と目が印象的な、静かな雰囲気をまとった男である。イリーナが、最も尊敬している人物であった。
「おい、どうかしたのか？」
「ツォンさん──」
　イリーナは、足を止めた。
「レノ達が帰ってきたのか？」
「はあ──。いえ、何でもないんです！　……本当に何もないんです」
　紙袋を抱き締めたイリーナの声は、だんだん小さくなって消えてしまいそうだった。
「……？　どうしたんだ。イリーナらしくない」
「いえ、そんな……あっ。私、失礼します！　これ、頼まれた買い物です」
　イリーナは、ツォンに紙袋を渡し、深く一礼すると、慌てて階段を駆け上がっていった。
　階段の踊り場の陰に隠れて、その様子をうかがっていたレノとルードは、それを見て再び駆け出したのだった。
　イリーナが自分の部屋に駆け込んで、案の定、ぴかぴかに整えたばかりのベッドに、銀髪の青年が寝かされているのを目にしたのは。丁度、レノがその瞼をこじ開けているところだった。
「せーんーぱーいっ！！」
「まーまー、落ち着けよ」
「けーどーっ！」
　同僚とはいえ、自室に無断で入り込まれたことが、そこまでヒステリックになる理由だった。椅子とテーブル、洋服ダンスとベッドだけの簡単な部屋だが、れっきとしたプライベート・ルームである、というのがイリーナの主張だった。せっかく新調したばかりのベッドカバーの上に、汚れた怪我人を寝かされたことも、それに少し入っていた。
　ベッドに寝かされたセフィロスは、わずかに胸が上下している以外、屍と大して変わらなかった。実際、イリーナは死体を連れてこられたと思い、レノもまさか生きているとは思わなかったぐらいだ。
「大丈夫、衰弱は思ったより酷くなさそうだ」
「レノ先輩……。一体、何があったんですか？」
「帰りのゴミ捨て場のすみに倒れていた。この格好、この状態のままでな……」
「そう……でも、どうして？」
　イリーナは、レノとルードの二人にたずねた。
「何故、このミッドガルにセフィロスがいるんですか？　この傷は、一体誰に？」
　イリーナの問いに、二人は、首を横に振ることしかできなかった。
「……今言えるのは、この男がセフィロスであることと、その男が今生きているということ」
　ルードが、レノとイリーナに目配せをする。
　普段は、なさすぎるほど無口なルードが、こんな長台詞を言うのはかなり珍しいことだ。
「……そして、まだ目を覚ましていないこと……。それだけだ……」
「ああ……。怪我と意識を失っている以外は、大したことはない」
　レノは、ルードに頷き返した。
「済まないなイリーナ、俺達の部屋は主任に近いからな、バレたらヤバいことになる……。今回だけは、勘弁してくれよな」
　レノの今回だけはこれで何度目か──イリーナはため息をつくと、開き直ったような強い口調で、レノに言った。
「……で、レノ先輩。これからどうするんですか？」
「へ？」
　思わず返した返事に、イリーナは、さらに苛立ったのだった。
「あーもうっ！！」
　と強くベッドの端を叩いて、
「怪我してるんでしょ！　手当するんでしょ！」
　強い視線でレノを睨む。
「お、おう……そうだな」
　怒りをなだめようにも、レノは、それしか言えなかった。
「レノ先輩とルード先輩は、汚れた服脱がせておいてください。私、お湯取ってきますっ！」
　勢いよく立ち上がると、イリーナは、隣で後ろに引いているレノとルードを横目に、部屋のドアを開け放った。
「それと！　先輩達も、濡れた服着替えておいてくださいよ！」
　そう言い残すと、叩き付けるようにドアを閉めた。今の気持ちを表しているような、大きな音が響いた。
「あちゃー……」
　ドアを眺めながら、レノとルードの二人は、お互いに顔を見合わせた。
「……あいつ、逆ギレしやがったぞ、と」
「無理もないがな……」
「まあな、と」
「……で、どうする？　レノ」
　レノは、軽く肩をすくめてみせた。
「……やっておくか。イリーナのご言いつけ通り」
「…………」
「何だよ、嫌か？　俺も嫌だぞ、と。……じゃあそっち持って引っ張れ。俺はこっちを持つ」
「…………。わかった……」
　ルードが渋々と、血に染まった白衣の裾を掴んだ。
「どーせ脱がすなら、あの胸のおっきいねーちゃんがいいよな。ルード」
　飛んできた握り拳を、レノは素早くかわした。