「夜想」
| のしかかってくる分厚い熱気が、タオルケットに絡まったエアリスに、網ごと吊り上げられたアザラシの夢を見させた。 目覚めてみれば、そこは波に洗われる漁船の甲板ではなく、シーツがぐしゃぐしゃになったベッドの中だった。 コスタ・デル・ソル。南国の夜であった。 無意識的に、隣の部屋に向かう。 室内の空気が、温度で重く感じる。 ドアに隠れるように、部屋の中をうかがった。ソファーの上に、クッションと畳んだ掛布が並んでいる。そこで寝ているはずの人間が、部屋の何処にもいない。 「セフィ……？」 エアリスは、絡まった髪に指を通しながら、消えたセフィロスの姿を探した。 別荘の外に出たが、人の影はない。頭の上には、見慣れない星空が広がっていた。星の並びが全く違う。時間が遅いせいもあるだろう。 「何処いっちゃったんだろ？」 疑問が、少しずつ不安へと変わっていくのを感じる。 地下に続く、石の階段。奥の方に、微かながら明かりが見えた。そして、何かか風を叩く音が聞こえる。 階段を一つ下りていく度に、音と、埃の匂いが強くなっていく。じっ、と肌に、汗が浮き上がってきた。 橙色の明かりに照らされた、刀身と、長身を飾る髪。 地下室の様子をうかがいながら、エアリスは、踊り場の陰に身を潜める。 切っ先を見つめるセフィロス。 まだエアリスには気付いていないようだ。 気迫が生温い空気を突き抜けて、冷気を帯びた風となって突き刺さってくる。恐ろしいほど、研ぎ澄まされていた。 正面を見据え、剣を振り下ろす。三回、十回と、それを繰り返す。 地下室のよどんだ空気が、千切られ、断ち切られて悲鳴を上げる。 山吹色を照り返す刀身は、金の残像を軌跡に残し、なおも空気を刻み続けた。 練習とは思えない、殺気とすら感じられる迫力。乱れる毛先が、汗の浮いた肌に絡みついている。 息が荒い。 大きく振り下ろされた正宗。銀と黄金が入り交じる刀身を、斜めに払い、鞘に収めた。 「いるのか？」 静かな声に、エアリスの胸が跳ね上がった。 「あっ、……わかってた？」 「まあな」 そう言って、セフィロスは正宗を木箱に立て掛けた。 「こんな時間に、どうしたの？ 眠れないの？」 何でもない、と言って背中を向ける。疲れているのか、息の抜けるような声だった。 「一緒に寝てあげよっか？」 「馬鹿なことを言うな」 「あ〜！ 今、変なこと考えたでしょー！！」 エアリスは、笑いながら背中に飛びついた。邪魔そうにセフィロスが振り返る。 「隣にいてあげるだけなのに〜！」 右手が、脇の下を抜けて腰に触れた。 強ばった身体が、その瞬間、小さく震えた。 「ここでも、オレは構わないが」 引き寄せられ、胸の中で息を飲んだ。うっすらと濡れた肌の奥から伝わってくる鼓動が、激しく、心の何かを絡め取っていった。 身体の芯が、ばらばらに解けていってしまいそうになる。 髪に明かりの粒が流れて、夕日の色に染めていた。 艶を帯びた、翠緑の瞳。 腰の手が、肩の方へ上ってきた。 微笑んだ形の唇が、耳元に近づいてくる。 「冗談」 ぽん、とセフィロスは一つ、エアリスの頭をはたいて笑った。 首から先に、一気に血が逆流していった。 惚けて立ちつくしたままだった。部屋に戻る間も、頭がのぼせたままだったらしく、気が付くと、ベッドの横に座っていて、その隣には、既にセフィロスが横になっていた。 「あっ、ごめん。なんか、ぼーっとなっちゃってた」 薄い掛布を二人の上に広げる。室温が高いので、腰回りを隠す程度にしかかぶせない。 部屋は闇に塗りつぶされている。ベッドに横たわる影が、辛うじて見えるかどうかというくらいだ。 「もう寝ちゃったの？」 並べた枕の端を手で探り、頭を乗せる。 手が触れる。すぐに離れた。 寝返りを打って、背中を向ける。 背中の向こうから、溜息が聞こえる。 「考え事、してる？」 その背中に、身体を寄せて聞いてみた。 「何も」 無愛想な答え。 頬に髪が触れている。 「わたしには、力になれないこと？」 意味もなく、指を通してみる。癖のない直毛。 自分に、何ができるのかどうかは、大した意味ではなかった。 決してあかさない、傷。向けられた背中に、深く胸の底に沈められたものを感じていた。 その傷に、エアリスは、手を触れることができるのか。 たやすいことではないと、わかっている。そのつもりだった。 腕を伸ばして手を握った。 「エアリス――」 セフィロスはそれを振りほどき、エアリスと向き合った。 気化した甘い匂いを感じる。 「――お前、何をして欲しいんだ？」 エアリスは言った。 「今は、こうしていて欲しい」 そして、鎖骨のくぼみに軽く唇を当てた。 「いいでしょ？ わたし、あなたの側にいたい」 すぐそこに、存在を確かめられる位置に、確かにあるもう一つの鼓動を、少しでも長く感じていたい。 「できるなら、ずっと、一緒にいたいな。そんなの、ダメかな？ セフィロスの邪魔になっちゃう？」 部屋は真っ暗で、一筋の光も射し込んではいなかった。しかし、エアリスは、微かに微笑む表情が、確かに見えたような気がした。 「……来い」 大きな手が肩を抱え込み、エアリスを引き寄せた。二人を隔てる距離は、ほんのわずかだった。 深く、奪っていくような口付け。 わずかな隙間さえ、追い出すように抱き合った。波紋となって滲んでいく喜びが、身体を震えさせる。 キスが終わっても、まだ腕を絡ませていた。肌を離してしまうのが惜しくて、腕の中に身をゆだねていた。 「エアリス」 「なーに？」 「オレとこうしているの、好きか？」 「嫌だったら、普通、一緒のベッドに入ったりしないと思うけど？」 「……そうか」 「ねえ」 「ん？」 「も一回、ぎゅーって、して」 セフィロスの顔に触れると、頬に軽い口付けをした。穏やかな吐息を感じながら、髪を絡ませた指で背中を撫で下ろしていく。 小さく、耳元にささやいた。 愛してる、とは口にしない。 照れ臭いからではなかった。それを言葉にした瞬間に、二人の間にある何かが、別の物に変わってしまうような気がするからだった。 エアリスは言った。 ――ずっと、このままでいたい。 Ｅｎｄ．．．９９／０５／０８ |