はじめて見たエアリスの顔は今にも泣き出しそうだったことを………。

「じゃ、母さん、行ってくるね。」
空の籠を腕に下げて出て行く娘をエルミナは心配そうに見つめた。
「エアリス、やっぱり今日はよした方がいいんじゃないかい？」
エアリスはくるっと振り返って笑顔を見せた。
「だ〜いじょうぶっ。昨日だっておとといだってあいつら来なかったもの。母さん、心配しすぎっ。じゃっ、夕飯はシチューね！」
そう言ってエアリスは軽い足取りで出かけていった。エルミナは腕組みをして閉まった扉を見つめながらため息をついた。
「エアリス……。」

「ん〜、今日もいい天気っ！……って、見えないか、へへ。」
上を見上げるが空の色は青ではなく、‘腐ったピザ’色だった。ミッドガルの下層部に住んでいる人間が澄んだ空気と青の空に出会えることは、もうほとんどと言っていいほど可能性はゼロに等しい。それでもエアリスは空の色を見たことがある。エアリスはずっとこの暗く寂しい場所に住んでいたわけではない。幼い頃は別の場所に住んでいた。その頃の記憶を思い出すと空の景色は懐かしく思われるが、エアリスはミッドガルも嫌いではなかった。それは今からエアリスが行こうとしている場所にも関係している。
エアリスは大きな古い教会の中へ入っていった。

壊れてその輝きを失ったステンドグラス。支柱とも言える巨大な柱は欠けていてひびが入っている。床は所々抜け落ちている。それでも教会といえるのは、中央の床に広がる花畑のおかげであろう。
「ん〜、いい香り。今日も元気だね。」
エアリスは一面を見渡すと花を踏まないように座った。そして丁寧に花を摘むと持って来た籠へと入れ始めた。これは後で売るためのもの。エアリスはミッドガルで花売りをしていた。今日も後で売りにいくのだ。
「あ、この花……。」
エアリスがふと手に取った一輪の花。淡く輝く紫色の花。

ぽた…。

「や、やだ、あたし、何涙なんか…。」
エアリスは手の甲でさっと涙を拭いた。しかしこの花から視線をそらせない。

――――世界の英雄セフィロス、死す。――――

新聞トップの一面に載ったこのニュースは大きな話題を呼んだ。世界中の人間が驚き、テレビではその話題で持ちきりだった。
しかし、それも今はもう過去の話。それからすでに５年の歳月が流れていた。

―――５年前。
「エアリス！！エアリス！！」
突然雪崩れ込むように入ってきたエルミナにエアリスは眠たい目をこすりながら答えた。エルミナはエアリスの目の前に新聞をばっと広げて叫んだ。
「あんたっ、知ってたかい！？セフィロス、死んだって！」
「何いってんの〜？誰が……―――！」
エアリスは新聞に釘付けになった。

「な、に…、これ……。」
新聞の文字に目を走らせながらエアリスは誰にともなく聞いた。
「やっぱりあんたも知らなかったんだね…。私も驚いたよ。今朝新聞広げたらそれが載っててさ、まさかと思ってテレビつけたらテレビもその話題ばかりで…。」
エアリスの耳にはエルミナの言葉はほとんど入っていなかった。吸いこまれるように新聞の記事に目を走らせている。
｢魔晄炉事故に巻き込まれ……って……そんな、そんな……。｣
眩暈を起こしそうな思考の中でエアリスは必死に思い出す。
（でも、魔晄炉の事故だったらどんなに小さなものでも必ず耳に入るはず…。でも最近そんな事件なんて全然なかったわ……でも、でも……。）
「エアリス！大丈夫かい！？」

――はっ。
エルミナに肩を揺さぶられてエアリスは我に返った。エアリスはエルミナを振り返った。その見上げる瞳は誰かに助けを求めるような表情だった。
「エアリス……。」
「か…あさん、うそでしょう？だって、あたし、二ヶ月前に会ってるのよ。それに…ザックス…。」
その言葉を口にした途端、エアリスの押さえていたものが一気に込み上げてきた。
「ザックスは！？セフィロスと一緒に行ったのよ！ねぇ母さん！おかしいわ！あの人のことは何も書いてない！何も………！」
エルミナは自分で無理に落ちつかせようとしているエアリスをどうすることもできず、ただ黙って肩を抱いた。エルミナは全て知っている。ザックスがエアリスの恋人であることも、セフィロスがエアリスを守ってくれていたことも。だから新聞を見せるべきか迷った。しかしいずれはすぐに知ってしまうこと。それなら自分が見せないといけないのだと、エルミナは意を決したのだった。
「エアリス、落ちついて、大丈夫、あんたの大事な人はどこにも死んだなんて書いてない、大丈夫だから……。」
「書いてないから……。」
エアリスはばっと立ち上がった。
「書いてないから！！あの人のことが何にも……！！ぅわあぁぁーーーん！！」
「エアリスっ！！」
エアリスは泣きながら出ていった。エルミナは手を絡ませ目を瞑った。
「ああ、神様…、どうかあの娘を悲しませないで……お願い…っ！」

「あれからもう５年か……。」
エアリスは手にとった淡紫の花も籠の中へそっと入れた。
「へへ……忘れたはずだったんだけどな…。」
膝の上に手を乗せて天井を見上げた。

ヒュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………

「え？」

ドシャアァァッ！！！

「きゃあぁっ！！」

砂煙が舞い上がる。
一瞬の出来事だった。天井を突き破って、‘何か’が落ちてきたのだ。それは花畑のちょうど地盤が一番柔らかいところに落ちたようだ。だんだんと辺りの様子が見えてきた。エアリスはゆっくり目を開けた。

「――――！！」

身体が身震いした。人間だ。床を突き抜けて手と足だけがここから見える。しかしエアリスが身震いしたのは‘人間’が落ちてきたからではない。
（ま、まさか……。）
エアリスは身体を震わせながら手を少し上げた。
（うそ…そんな……。）
体つきも、手も足も、似ている。愛しいあの人に―――――。
「ザ……。」
その時だった。つき抜けた床の中から声が聞こえた。
「う…ん……。」

涙が込み上げてくる。一瞬の夢は、終わった。

「いててて……。」
身軽な身体なのか、ひょいと身体を起こして出てきた男は黒髪ではなかった。
そして、銀色でもない。短髪でつんつんとした金髪の男だった。
「ここは……。」
「大丈夫？」
金髪の男はその声にはっと振り返った。
「どこから落ちてきたの？よかったわね、身体、大丈夫みたいで。」
男は辺りを見まわす。
「ああ…、花がクッションの役割をしてくれたのか。」
そしてすまなそうに頭に手をやった。
「すまない、これは君の花か？めちゃめちゃにしてしまった。」
「ううん、お花って強いから。すぐに元に戻るの。」
「そうか、ならいい。」
男は立ち上がり髪の毛をさっと払い直した。
「あなた、どこから来たの？」
「上から、かな。」
「ふふ、そうね。でもどうして…。」
「ここを荒らしてしまってすまないが、もう行かなければならない。じゃあ…。」
「あ、待って！」
立ち去ろうとした男は無表情で振り返った。
「私、エアリス。あなたは？」
「……クラウド。」
「その瞳の色、もしかしてソルジャー？」
男は少し驚いた目をしたがすぐにさきほどの無表情に戻って言った。
「ああ、元、だけどな。一応ファーストだった。」
どく―――。
エアリスの心臓が撃たれるように響いた。
「あ、あの、じゃあ……。」
「お取り込み中のところすまないが時間切れだ。そこまでにしてもらうぞ、と。」
エアリスは扉を素早く振り返った。
「あ……っ。」
「？」
クラウドはエアリスの普通ではない様子に眉をよせた。そしてこちらへ近づいてくる赤い髪の男に目を移した。
「エアリス、一緒にくるんだ。もう逃げられないぞ、と。」
エアリスは立ち上がってクラウドの背中へ隠れるように逃げ込んだ。クラウドは相手がエアリスにとっていい人物ではないと判断して言った。
「なんだ、あんた。エアリスが怖がっているじゃないか。」
赤い髪の男はニヤリと笑うとさらに近づいてきた。後ろからはもう一人大柄な男が入ってきた。
「オレは‘あんた’じゃない。タークスのレノという名前があるんだぞ、と。ちなみに後ろのやつはルードだ。」
ルードは少し頬を赤らめると誰にともなく小さく礼をした。
「タークス！？なんでタークスの奴らがこんなところに…！？」
「ほう、オレ達を知っているとは。お前、その瞳の色、ソルジャーだな。悪いが貴様には関係のないことだ。手出しは無用だぞ、と。行くぞ、ルード、と、花は踏むなよ。」
エアリスはクラウドの服をきゅっと握った。
「助けて…。」
「おい、あんたら、ちょっと待て。」
クラウドは近づいてくるレノ達を鋭く睨んだ。
「ん？なんだ？お前は関係ないと言ったはずだぞ、と。」
「そうはいかなくなってな。エアリスは今オレに助けを求めたんだ。放っておくわけにはいかないからな。」
「そうか。」
するとレノは軽く手を上げた。合図を待っていたかのように扉から何人もの兵が走ってきた。
「ちっ、数が多い。エアリス、逃げるぞ。」
「うんっ、上、逃げ道あるからっ。」
「よしっ。」
二人は走り出した。同時にタークスと兵たちが後を追う。

逃げるのは容易いことではなかった。途中エアリスが掴まりそうになったが、なんとか上にあったタルのおかげでそれは食い止められた。
そして逃げ道は地面ではなく、なんと屋根の上というとんでもない道だったのだ。

「ふぅ〜、ここまでくればもう大丈夫だ。安心していい。」
「うん、ありがとっ、助けてくれて。」
クラウドはエアリスを持ち上げるとひょいと飛び降り、エアリスをおろした。
「ねっ、うちに来て。疲れたでしょ。泊まっていくといいよ。」
「いや、オレには関わらない方がいい。」
「大丈夫大丈夫。ほら、うち、すぐそこだから、ねっ。」
クラウドは困ったように頭に手をやったが結局エアリスの持ち前の明るさでなんとなくついていくことにした。

「かあさ〜ん、ただいま〜。」
中へ入るとぱたぱたとエルミナが出迎えに来た。
「ああ、おかえり、おや？そちらさんは？」
エアリスは微笑んでクラウドを見上げた。
「えへへ、さっき助けてもらったの。」
「タークスが来たのかい！？だから言っただろう！今日はやめておけって。」
その二人の様子からクラウドは敏感に感じ取った。さっきのようなことは初めてではないことを。
「何か訳ありのようだな。だが今日はもう大丈夫だろう。心配はいらない。」
「ほらっ、クラウドがそう言ってるんだから大丈夫なのっ。えへっ、クラウドね、元ソルジャーなんだって。」
「ソルジャー…？」
エルミナは小さく呟いた。エアリスは気付いていない。
「あ〜、あたしちょっと疲れちゃった。部屋で休んでるね。クラウド、後でね。」
エアリスはぱたぱたと二階へ上がっていった。クラウドはエルミナを黙って見つめた。さきほどのエルミナの表情はクラウドには隠せなかったのだ。エルミナは小さくためいきをついた。
「エアリスを助けてくれてありがとう。だけどエアリスにはもう関わらないでやってくれるかい？あんた、ソルジャーだったんだって？あの娘にはもうソルジャーの人間は関わらせたくないんだよ。」
「ああ、こっちも夜中には出ていく。」
「悪いね…。あんたには何の罪もないんだけどね。」
「気にしなくていい。」
クラウドは二階へ上がっていった。エルミナは見届けると深く息をはいた。
「エアリス…、思い出さなければいいんだけど…。」

トントン。
「クラウド、いい？」
「ああ、どうぞ。」
エアリスはニコっと微笑んで中へ入った。クラウドはベッドから身を起こした。
「今日はどうもありがとう。」
「気にするな。」
「ねぇ…。」
「なんだ？」
エアリスはクラウドの横へちょこんと座ると下を向いた。
「ソルジャーのファーストだったんだよね。」
「ああ、そうだが？」
クラウドはエアリスを見つめた。エアリスがそれ以上何も言わなくなってしまったからだ。
「エアリス？」
沈黙が続く。クラウドはもう一度名を呼ぼうとした。
「エ…。」
「ねぇっ、これからどうするの？」
顔を上げたエアリスは笑顔だった。
「セフィロスを追う。」
「え？」
エアリスは耳を疑った。クラウどの口からでた今の名前は……。
「っと、ちょっと訳ありでな。セフィロス、知っているだろう？あの有名な英雄だった男だ。あいつを追っていかなければならない。」
「まっ、待って！セフィロスって…死んだはずじゃ…っ。」
クラウドは険しい顔で向かいの壁に目をやった。
「表向きにはな。だがあいつは生きていた。確信は持てないが……。」
クラウドは目を細めてエアリスに出会う前に起きていた事件を思い出していた。そして、エアリスもまた、思いにふけっていた。クラウドを見つめる。
「なんで…、セフィロスを追わなくちゃならないの？」
しかしその声は小さく、クラウドには届いていない。クラウドは顔を上げ、エアリスに言った。
「さ、今日はもう遅い。あんたももう部屋に戻って今日の疲れを癒すといい。」
「う、うん…。じゃ、おやすみ、クラウド…。」
「おやすみ、エアリス。」
パタン。

エアリスは部屋に戻ってからも眠れなかった。頭の中でいろいろな記憶が巡ってゆく。
（セフィロスは生きていた……。どうして連絡くれなかったんだろう…。私のこと忘れちゃったのかな…。ううん、あの人はそんな人じゃない。きっと何か訳があったんだ。）
何度も寝返りを打つ。だが胸のもやもやは消えるどころか増すばかりだった。
（クラウドはあの人を追っている…。セフィロスに会える…？）
「会わなきゃ……。」
エアリスは身体を起こした。その瞳はもう何者も止められない決意の色。エアリスはゆっくりと階段を下りていった。
「エアリス…。」
はっと振り向く。エルミナが立っていた。
「母さん、あたし……。」
「分かってるよ、そんなことだろうと思っていたよ。」
「じゃあ……。」
エルミナは優しくうなづく。
「さ、納得するまでしっかりやっといで。そして、無事に戻って来るんだよ。」
「母さん……。」
「ほら、もうクラウドは行ってしまったよ、近道して先回りするといい。」
「うん、ありがとう…。あたし、行ってくる。必ず帰ってくるから。」
「ふふ、な〜に言ってるんだい、生涯の別れでもあるまいし。」
エアリスは涙を浮かべて微笑んだ。
「行って来ます。」
外は真っ暗だった。ほのかに電燈が光っている。星は見えない。
「エアリス。」
「ん？」
「会えるといいね……。」

こうしてエアリスは旅だった。数奇な運命を辿ることになる一人の女性はやがていろいろな真実に出会っていくのだろう。そして、彼女が本当に探そうとしている人物に会える日は……。

「エアリス！？」
「えへへっ、来ちゃった、クラウド、私も一緒に行くわ。」

神様、どうかエアリスを悲しませないで下さい―――。

その言葉は夜の空からエアリスを優しく包み込んだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜おわり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜